大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和30年(ワ)152号 判決 1960年9月30日

判  決

東京都品川区平塚一丁目四八七番地

原告

新間昌

右訴訟代理人弁護士

安藤信一郎

同都中央区銀座東一丁目一二番地

被告

福岡工業株式会社

右代表者代表取締役

福岡八重

同都豊島区目白町二丁目一五五三番地

福岡秀一訴訟承継人

被告

福岡八重

(ほか七名)

同都中央区銀座東一丁目一二番地

被告

島田昭彦

同所同番地

被告

島田キミ

右被告十一名訴訟代理人弁護士

志方篤

矢吹重政

東京都中央区銀座東一丁目一二番地

被告

竹内忠雄

同所同番地

被告

新世紀映画株式会社

右代表者代表取締役

伊藤武男

同所同番地

被告

中央映画株式会社

右代表者代表取締役

伊藤武男

同所同番地

被告

竹内元雄

同所同番地

被告

協和運送株式会社

右代表者代表取締役

久保田栄

右被告五名訴訟代理人弁護士

辻誠

服部勝次郎

右被告忠雄、元雄訴訟代理人弁護士

山田治雄

右当事者間の昭和三〇年(ワ)第一五二号家屋収去土地明渡請求事件について、つぎのとおり判決する。

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告福岡八重、福岡喜美、西山寿子、沢三重子、鍛治田志津子、大津幸子、小島和子、福岡康夫(以下この八名を呼ぶときは被告福岡八重ら八名という)は原告に対し、別紙目録(一)の宅地を、別紙目録(二)の建物を収去して明渡し、かつ昭和二十九年一月一月から同年三月三十一日まで一カ月六千四百四十九円、同年四月一日から右土地明渡ずみに至るまで一カ月八千五百八十二円七十三銭の割合による金員を支払うべし。被告福岡工業株式会社(以下福岡工業という)島田昭彦、島田キミは右(二)の建物から退去してその敷地二十三坪一合一勺を明渡すでし。被告竹内忠雄は原告に対し、別紙目録(一)の宅地のうち北側二十五坪三合八勺(別紙目録(三)の建物の敷地)を、その地上にある別紙目録(三)の建物を収去して明渡すべし。原告に対し、被告新世紀映画株式会社(以下新世紀映画という)、中央映画株式会社(以下中央映画という)は右(三)の建物のうち二階十三坪の事務所から、被告協和運送株式会社は同じ建物のうち階下三坪の事務所から、被告竹内忠雄、竹内元雄は同じ建物のうち右以外の部分(二階十三坪の事務所と階下三階の事務所とを除いたその余の部分)から退去してそれぞれその敷地(退去すべき建物部分の坪数相当の敷地)を明渡すべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、かつ被告らの主張に対して、つぎのとおり述べた。

原告の先代新聞五兵衛は昭和六年十二月二十三日福岡秀一に対し、五兵衛所有の別紙第一目録の宅地を、目的を堅固でない建物所有のため、賃料を一カ月六十一円と定め、期間を定めずに賃貸し、秀一は右地上に建物を所有していたところ、右建物は昭和二十年中戦災にあつて焼失した。そして、その跡へ同年中別紙目録(二)(三)の建物が建てられた。また五兵衛は昭和二十三年二月二日死亡し、原告が相続をして五兵衛の権利義務を承継した。

その後原告が調査したところによると、右(二)の建物は秀一の所有であるが、(三)の建物は現在被告竹内忠雄の所有である。原告は秀一が(三)の建物の敷地を他に転借するかその部分の賃借権を他に譲渡してその土地を使わせていたことを知つたので、秀一に対し、昭和二十九年十月十三日発翌十四日着の書面で、右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。これによつて原告と秀一との間の右賃貸借契約は終了した。

秀一は昭和二十九年一月一日からの賃料を払わず、かつ右賃借土地を明渡さぬまま昭和三十三年三月二十四日死亡し、被告福岡八重ら八名(八重は妻、その他は子)が相続をして秀一の権利義務を承継した。原告は秀一及び被告福岡八重ら八名の右建物所有による土地占有により右(一)の土地所有権を侵害され、右解除後相当賃料額(いわゆる統制賃料額)一カ月八千五百八十二円七十三銭(坪当り百七十七円)の割合による損害を蒙つている。

被告福岡工業、島田昭彦、島田キミは現に右(二)の建物を占有することはよつてその敷地二十三坪一合一勺を占有し、原告の右土地所有権を侵害している。

被告竹内忠雄は現に右(三)の建物を所有することによつてその敷地二十五坪三合八勺を占有し、原告の右土地所有権を侵害している。

被告新世紀映画、中央映画、竹内忠雄、竹内元雄、協和運送は右(三)の建物のうち請求の趣旨にかかげた部分を占有することによつてその坪数に相当する敷地を占有し、原告の右土地所有権を侵害している。

よつて、被告福岡八重ら八名に対しては、土地所有権にもとづいて、右(二)の建物を収去して別紙目録(二)の宅地を明渡し、かつ昭和二十九年一月一日から同年三月三十一日まで統制賃料額一カ月六千四百四十九円(坪当り百三十三円)、同年四月一日から同年十月十四日まで同じく統制賃料額一カ月八千五百八十二円七十三銭(坪当り百七十七円)の各割合による賃料、昭和二十九年十月十五日から右土地明渡ずみに至るまで同一割合の所有権侵害による損害金を支払うべきことを、その他の被告らに対しては、土地所有権にもとづいて、被告福岡工業、島田昭彦、島田キミに対し、(二)の建物から退去してその敷地二十三坪一合一勺を、被告竹内忠雄に対し、右(三)の建物から退去し、これを収去してその敷地二十五坪三合八勺を、被告新世紀映画、中央映画、竹内元雄、協和運送に対し、右(三)の建物のうち前示各占有部分から退去して右占有坪数に相当する敷地を明渡すべきことを求める。

被告らの抗弁は失当である。

(一)秀一から被告元雄への賃借権の譲渡が罹災都市借地借家臨時処理法(以下処理法とよぶ)の適用上地主の承諾を要するものでないという被告らの主張は不当である。

すなわち、被告元雄が被告福岡工業ら主張の南側の建物を秀一から賃借しこれに居住していたことは知らないし、被告元雄が処理法の期間内に被告ら主張のとおり賃借権譲渡の申出をしたことは否認するが、仮りに被告ら主張のとおりのことがあつたとしても、被告元雄が秀一に対して賃借の申出をしたという土地の部分はもと被告元雄が秀一から賃借していたという建物の敷地ではないから、処理法からいつても、右申出を根拠として賃借権譲渡の効果が生ずるいわれがない。のみならず、秀一は右申出に対して(仮りにあつたとしても)法定期間内に拒絶の回答をしている。

仮りに被告元雄が処理法にもとづき右賃借権の譲渡を受けたとしても、被告元雄は被告ら主張の(三)の建物を昭和二十五年八月十五日訴外小林紀久男に、同人は右建物を昭和二十六年四月十三日被告忠雄に順次譲渡して所有権移転登記をした。したがつて、被告元雄は、処理法によつて得た賃借権を、小林は右建物を譲渡した昭和二十五年八月十五日に放棄したものであり、その後は地主の承諾を得ない賃借権の譲渡と化したのである。

秀一が昭和二十五年六月被告元雄を相手取つて前記(三)の建物を収去してその敷地を明渡すべきことを求める訴訟を東京地方裁判所に提起したこと、その事件が自庁調停に付され、昭和二十六年八月十一日になつて、右賃借権が処理法によつて被告元雄に移つたことを秀一が認める旨の調停ができたことは、被告らの主張するとおりである。このことはむしろ右賃借権が処理法によつて秀一から被告元雄に移つたことがないことを明らかにするものである。

(二)秀一の賃借権譲渡に対して賃貸人が暗黙の承諾を与えたとして被告らが主張している事実は否認する。

五兵衛または原告は賃料をつねに秀一から支払つてもらつていた。昭和三十年一月二十五日になつて秀一、被告元雄から原告に対し賃料弁済供託の通知があつた。このときはじめて被告元雄は原告に対してその名をあらわした。仮りに賃貸人が暗黙の承諾を与えたとしても、被告元雄所有の(三)の建物については前記のとおり他へ所有権が譲渡されたから、これとともに賃貸人の承諾は効力がなくなつた。

(三)解除権の行使が信義則に違反し、土地明渡請求が権利濫用であるとして被告らが主張する事実も否認する。

銀座というような所にある地所については、どの部分を本来の賃借権者が使うかということは地主にとつて重大なことである。土地の使用部分を南北交換しても地主に及ぼす利害は同じであると、簡単にきめることはできない。原告は秀一が他人に賃借地を使わせていることを知つてすぐ解除の意思表示をしたのである。

仮りに、被告らの主張が理由であるとしても、それは建物が被告元雄の所有である間のことである。被告元雄が建物を譲渡した以後のことを考えると、前記解除権の行使が正当であることはよくわかるはずである。

(四)被告ら主張の(四)の事実は否認する。

(五)被告福岡工業らが(五)で主張する理論は、秀一から被告元雄への賃借権の譲渡が原告との関係でも適法であるとされる場合に限つて、原告も納得することができる。しかし、被告元雄は原告との関係で適法に賃借権を譲受けたといえぬこと前記のとおりであるから、被告ら主張の結論は不当である。

(六)被告福岡工業ら主張の(六)の理論は全く不当である。

かように述べた。

被告福岡工業外十名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、つぎのとおり答弁した。

福岡秀一が原告主張の日新間五兵衛からその所有の別紙目録(一)の宅地を原告主張の約で賃借して右地上に建物を持つていたこと、その建物が昭和二十年中戦災にあつて焼失したこと、その跡へ別紙目録(二)、(三)の建物が建てられたこと、新間五兵衛が死亡して原告がその相続をしたこと、秀一が原告主張の部分の土地賃借権を他へ譲渡したこと、原告主張の日原告から秀一に対して原告主張の解除の意思表示があつたこと、秀一が原告主張の日死亡して被告福岡八重ら八名が原告主張のとおり相続したこと、被告福岡八重ら八名が前記(二)の建物を所有し、被告福岡工業、島田昭彦、島田キミがこれを占有してその敷地二十三坪一合一勺を占有していることは認める。新間五兵衛か死んだ日及び前記(一)の宅地の統制賃料額が原告主張のとおりであることは知らない。前記(二)の建物は秀一によつて昭和二十二年五月に建てられその所有に帰したが、右(三)の建物は昭和二十一年五月頃被告元雄によつて建てられた。前記(一)の宅地のうち前記二十三坪一合一勺以外の部分は被告福岡八重ら八名は占有していない。

原告と秀一との間の右賃貸借契約が解除により終了したこと、被告福岡八重ら八名、被告福岡工業、島田昭彦、島田キミの土地占有が不法であることは争う。

つぎのとおり、原告と秀一(ひいてその相続人)との間の前記土地賃貸借契約は、南側二十三坪一合一勺の部分については、解除されることなく存続しており、被告らの土地占有は正当な権原にもとづくものである。

(一)秀一から被告元雄への借地権の譲渡は罹災都市借地借家臨時処理法(以下ただ処理法とよぶ)にもとづくものであつて、地主の承諾を要するものでない。

秀一が五兵衛から賃借した前記(一)の宅地の上には秀一有所の二棟の建物があり、北側一棟は秀一が自ら使用し、南側一棟は昭和十九年六月頃から被告元雄が秀一から賃借してこれに居住していたところ、両建物とも昭和二十年五月十五日の戦災で焼失した。そこで被告元雄は焼跡に建物を建てたいものと秀一に承諾を求めたところ、秀一が旧北側建物(秀一が使つていた)の敷地の部分について使用を承諾したので、その北側敷地二十五坪三合八勺に昭和二十一年一月下旬建築をはじめ同年五月前記(三)の建物を完成した。その後昭和二十一年九月十五日から処理法が施行されるに至つたので、被告元雄は同年九月下旬秀一に対し、被告元雄の右使用部分につき賃借権譲渡の申出をした。これに対して秀一は法定期間内に何らの回答をせず、おそくも同年十月二十一日(同年十月一日から三週間の末日)の満了のときに右譲渡を承諾したものとみなされた。ところが、賃借権譲渡の補償額について秀一と被告元雄との間に協議が調わなかつたことから、秀一は、右賃借権の譲渡を争い、昭和二十五年六月、被告元雄に対し、右(三)の建物を収去してその敷地を明渡すべきことを求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。この事件は職権によつていわゆる自庁調停に付され、昭和二十六年八月十一日になつて、秀一は右賃借権が処理法によつて被告元雄に移つたことを認め、被告元雄は賃借権譲渡の補償として金十五万円を秀一に払うということで、調停が成立した。被告元雄が秀一から賃借権の譲渡を受けたその目的土地は同被告がもと賃借していた建物の敷地ではなくその北側の土地(秀一自身が使用していた建物の敷地の部分)ではあるが、処理法三条にもとづく借地権の譲渡は厳格に罹災建物の敷地について行われることを要するものでなく、当事者の協議によつてある程度変更することができるものと考えるのが相当である(処理法一六条によつてもその趣旨がうかがえる)。したがつて、本件におけるように、秀一が五兵衛から賃借していた一区画の土地四十八坪四合九勺のうち被告元雄が秀一から賃借していた建物の敷地の部分二十三坪一合一勺とそうでない部分とを取りかえて賃借権の譲渡を行つても、その賃借権の譲渡に処理法三条四条の保護が失われるものでない。

(二)仮りに、右賃借権の譲渡については処理法の適用がなく、したがつてそれにつき賃貸人の承諾を必要とするものであつたとしても、賃貸人は暗黙の間に右賃借権の譲渡を承諾した。

すなわち、右地主の土地管理人某は昭和二十二年七月頃から数回被告元雄に対し右敷地を買取られたいと交渉した。また前記調停成立直後の昭和二十六年八月中秀一の代理人池田修吾は原告に対し調停のできたことを報告して秀一から被告元雄への賃借権の譲渡につき承諾を求めたばかりでなく、昭和二十七年四月頃被告元雄もまた原告方を訪れ、調停の結果被告元雄が右賃借権を譲受けた旨を告げた(これらに対し原告ははつきりした態度を示さなかつた)。かような事情で、賃貸人は、昭和二十二年七月頃にはすでに秀一と被告元雄との間に右賃借権の譲渡のあつたことを知りながら、本訴提起に至るまで約七年半の間何らの苦情をのべなかつたのであるから、暗黙の間に右賃借権の譲渡を承諾したのである。

(三)仮りに、右の主張が理由ないとしても、原告が秀一との間の賃貸借契約を解除することは信義に反し、被告らに土地の明渡しを求めることは権利の濫用である。

すなわち、被告元雄としては従来の賃借人である秀一の希望をいれ、譲歩して割の悪い北側の賃借権で我慢し、秀一としても戦災地復興、住宅難緩和を主眼とする処理法の精神に則つてやむをえず賃借権を被告元雄に譲渡したのである。もともと、秀一の借地の南側約半分については被告元雄が処理法により賃借権を譲受けたうえで建物を建築することができる権利をもつていたのであるから、仮りに被告元雄と秀一とが前記敷地の交換をしなかつたとすれば、両人の所有する各建物の敷地、すなわち両人の使用しうべき土地が現状と逆になつているだけであつて、敷地を交換したことによつて格別賃貸人(地主)に不利益を及ぼすことはない。

のみならず、原告は諸方に多くの貸地をもつており、本件土地もみずから使う必要はなく、地代さえ滞りなく収めればいい境遇にある。これに反し、被告らはすでに多額の費用を投じて本件建物を建築し、永年にわたり本件場所で営業(被告元雄は運送業)をつづけ、ここを生活の本拠としており、ここを明渡されなければならないとすると一挙に生活の本拠を失うことになる。

このような事情のもとで原告が秀一に対して賃貸借契約を解除するのは信義則に反し、被告元雄らに対して土地の明渡を求めるのは権利の濫用である。

(四)別紙目録(三)の建物は被告元雄が建築所有し、昭和二十五年八月十五日小林紀久男に、昭和二十六年四月十三日被告忠雄に所有権移転登記がされているが、そのいきさつはつぎのとおりであつて、建物の所有権は被告元雄にある。すなわち、右建物について昭和二十五年八月十五日被告元雄から小林紀久男名義に所有権移転登記をしたのは、当時被告元雄が小林に対して約三十五万円の債務を負担していたので、その担保として右建物の所有権を移転した(いわゆる譲渡担保)ことによるものであるが、その後右債務が完済されたので右建物の所有権は被告元雄に戻つた。しかし、被告元雄は、右建物の所有権はゆくゆくはその相続人の地位にある(同被告の長男)被告忠雄に帰することになるものと予想したので、相続税対策からこの機会に登記面だけを被告忠雄の名義にしておこうと考えて(所有権を移転する意思はなく)、昭和二十六年四月十三日被告忠雄名義に所有権移転登記をしたのである。したがつて、右建物の真の所有者は被告元雄であつて、被告元雄が小林または被告忠雄にその敷地の賃借権を譲渡したり、敷地を転貸したりしたことはない。仮りに第三者に対する関係においては被告忠雄が建物の所有者として扱われるべきであるとしても、実質的には被告元雄が右(三)の建物を所有して右敷地を利用収益しているのであり、被告忠雄は被告元雄の賃借権の範囲内で右敷地を利用しているにすぎないから、被告忠雄の右土地使用についてに何ら違法性がない。

(五)秀一から被告元雄に賃借権を譲渡したという理由で原告が秀一との間の賃貸借契約を解除することができぬことは前記のとおりである。そして、仮りに、被告元雄が小林紀久男に、両人が被告忠雄に右土地賃貸借権を譲渡したとしても、それは秀一のあずかり知らぬことであるから、それを理由にして原告は秀一との間の賃貸借契約を解除することはできない。すなわち、秀一が被告元雄に前記北の部分二十五坪三合八勺の賃借権を譲渡してのちは、その部分については原告と被告元雄との間に、前記南の部分二十三坪一合一勺については原告と秀一との間に賃貸借契約が存続するに至つたのであり、後者の賃貸借契約が前者の賃貸借契約について生じた事由によつて影響を受ける理由はないわけである。

(六)仮りに、以上の主張が理由ないとしても、秀一が被告元雄に賃借権を譲渡したのは本件土地のうち北側二十五坪三合八勺の部分に限られるから、本件のような事情のもとにされた解除の効力の及ぶ範囲も右の部分に限られるとしなければならない。したがつて、本件土地のうち少くとも南側二十三坪一合一勺についてはその明渡を求める原告の請求は失当である。

以上のとおり答弁した。

被告竹内忠雄外四名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、つぎのとおり答弁した。

被告忠雄、元雄としては、福岡秀一が原告主張の日新間五兵衛からその所有の別紙目録(一)の宅地を原告主張の約で賃借して右地上に建物を持つていたこと、その建物が昭和二十年中戦災で焼失したこと、その跡へ別紙目録(二)、(三)の建物が建てられたこと、新間五兵衛が原告主張の日死亡して原告かその相続をしたこと、秀一が原告主張の部分の土地賃借権を他へ譲渡したこと、原告主張の日原告から秀一に対し原告主張の解除の意思表示がされたこと、被告元雄、同忠雄が右の(三)建物のうち原告主張の部分に居住し、右土地のうち原告主張の部分を占有していることは認める。右(二)の建物は昭和二十二年五月秀一によつて建てられたが、右(三)の建物は昭和二十一年五月頃被告元雄によつて建てられ、同被告の所有に帰した、前記(三)の建物を所有して原告主張の二十五坪三合八勺の土地を占有している者は被告元雄である。原告と秀一との間の賃貸借契約が解除により終了したこと、被告らの土地占有が法であるということは争う。被告忠雄は被告元雄の家族として右(三)の建物に居住しているのである。

被告新世紀映画、中央映画、協和運送としては、右被告らが原告主張のとおり右(三)の建物の部分を占有し、その敷地を占有していることは認めるが、原告主張のその余の事実は知らない。右被告らの土地占有が不法であるということは争う。

被告新世紀映画、中央映画、協和運送は被告元雄から(三)の建物のうちその占有部分を賃借しているのである。

その他被告ら全部の主張することは被告福岡工業ら主張の(一)ないし(四)のとおりである。

かように答弁した。

証拠関係(省略)

理由

原告先代新間五兵衛が昭和六年十二月二十三日福岡秀一に対し、五兵衛所有の別紙目録(一)の宅地を、原告主張の約で賃貸し、秀一が右地上に建物を所有していたところ、右建物が昭和二十年中戦災にあつて焼失したこと、その跡へ別紙目録(二)(三)の建物が建てられたことは、原告と被告ら(ただし、被告新世紀映画、中央映画、協和運送を除く)との間においては争いがなく、原告と被告新世紀映画、中央映画、協和運送との間においては、その他の被告と原告との間に右のとおり争いない事実と、被告竹内元雄本人の供述とによつて、これを認める。

新間五兵衛が原告主張の日死亡して原告が相続をしたことは、原告と被告竹内忠雄、竹内元雄との間においては争いがなく、原告とその他の被告らとの間においては、甲第一号証(真正にできたことに争いがない)と弁論の全趣旨とによつて、これを認める。

別紙目録(二)の建物が福岡秀一によつて建てられ同人の所有に帰し、さらに原告主張の日秀一の死亡によりその相続をした福岡八重ら八名の所有に帰したことは、原告と被告福岡工業、島田昭彦、島田キミ、福岡八重ら八名との間に争いがない。

別紙目録(三)の建物が被告竹内元雄によつて建てられ同被告の所有に帰したことは、当事者間に争いがない。

原告は、「福岡秀一が(三)の建物の敷地を転貸するか、またはその部分の賃借権を譲渡したので、原告は、秀一との間の賃貸借契約を解除した。」という。

(証拠省略)を合せ考えると、つぎのとおり認めることができる。

秀一が五兵衛から賃借した前記(一)の宅地の上には秀一の所有する二棟の建物があり、北側の一棟は秀一が自ら使用し、南側一棟(建坪約二十坪)は昭和十九年六月頃から被告元雄が秀一から賃借してこれに住んでいたところ、右二棟の建物は昭和二十年五月十五日の戦災で焼失した。被告元雄は焼跡に建物を建てたいものと秀一に承諾を求めたところ、秀一は、もと被告元雄がいた南側部分には秀一が家を建てたいからもと秀一が使つていた北側の建物の敷地の部分を使うことにしてくれ、と頼んだ。そこで被告元雄は右の北側部分に昭和二十一年一月中建築をはじめ、同年四月いつぱいで前記(三)の建物を完成した。その後昭和二十一年九月十五日から罹災都市借地借家臨時処理法が施行されたので、被告元雄は同月下旬秀一に対し被告元雄の右使用部分につき賃借権譲渡の申出をした。これに対して秀一は格別の回答をしなかつた。ところが、その後賃借権譲渡の補優額について秀一と被告元雄との間に協議が調わなかつたことから、秀一は右賃借権の譲渡を争い、昭和二十五年六月被告元雄に対し右(三)の建物の敷地の明渡しを求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。この事件は職権によつていわゆる自庁調停に付され、昭和二十六年八月十一になつて、秀一は右賃借権が処理法によつて被告元雄に移つたことを認め、被告元雄は賃借権譲渡の補償として金十五万円を秀一に払うということで、調停が成立した。被告元雄がもと秀一から賃借していた南側建物の敷地と被告元雄が秀一から賃借権を譲受けた北側土地とを比較すると、坪数は後者の方が少し広いが土地の格は前者の方がよく(南の方が日あたりがよい)、坪数のちがいにかかわらず、南の部分の方がよい土地である。

かように認めることができる。(中略)

被告元雄が秀一から賃借権を譲受けた北側部分の坪数は右両者間では前記調停にあたり二十一坪六合六勺と表示されたが(乙第三号証によりそう認められる)、別紙目録(二)の建物の敷地坪数が二十三坪一合一勺であり、同(三)の建物の敷地坪数が二十五坪三合八勺であること当事者間に争いないと、被告竹内元雄本人の供述とによると、被告元雄が秀一から譲受けた賃借権の目的土地の正確な実測坪数は二十五坪三合八勺であると認めるのが相当である。

厳密に論ずるときは、秀一と被告元雄との間の前記北側土地の賃借権の譲渡については、処理法そのままの適用はないものといわねばならない。前記北側土地に対しては被告元雄は処理法所定の縁故(例えばその地上にあつた秀一所有の建物を賃借していた等の)をもつていなかつたからである。しかし、前記南側土地については、被告元雄は、これに家を建てたうえ処理法にもとづいて、秀一に対して賃借権譲渡の申出をすることができたはずであり、その場合においては地主たる五兵衛は、その意思にかかわりなく、被告元雄が右南側部分につき五兵衛の賃借人になることを、どうすることもできなかつたのである。それを、被告元雄は秀一の希望にもとづき、土地としての格のいい南側部分を秀一にゆずり、北側部分を使用することで満足していたために、北側部分につき秀一に対して賃借権譲渡の申出をし、秀一も結局これを認めたのである。このような場合においては、土地を取りかえたことによつて地主に不利益を与えるような事情のない限り、信義則からいつて、地主は賃借権譲渡につき承諾を拒むことができず、右の賃借権譲渡については処理法三条によつて賃借権譲渡の申出をした場合におけると同じ保護が与えられる、と解すのが相当である。いずれにせよ、地主としては、被告元雄が賃借人となることを忍ばなければならず、そして右の意味の土地の取りかえが地主に不利なものとならない限り、地主の受ける利害は同じであるが、またはより有利になるからである。ところで、被告元雄が賃借権を譲受けたその目的土地は、被告元雄が当然賃借権を取得することができたはずの南側土地よりもむしろ落ちる土地であつたことはさきに認定したとおりであるから、右の土地の取りかえは少しも地主に不利益を与えるものでなかつたといわなければならない。したがつて、地主は秀一と被告元雄との間の前記北側土地の賃借権譲渡に対して承諾を拒むことができず、被告元雄は右賃借権を譲受けたことにつき処理法三条によつて賃借権譲渡の申出した場合におけると同じ保護を受けることができ、地主に対する賃借権者となつたわけである。

右の関係を外にして、秀一がその賃借権を他へ譲渡し、または賃借地を他へ転貸したことを認めることができる証拠はないから(別紙目録(三)の建物が被告忠雄の名義になつていることは、のちに述べるとおり、被告元雄が賃借権を譲受けてからのちに、秀一に関係なく、被告元雄側に起つたことである)、原告の解除の主張は失当である。

したがつて、地主と秀一との間には前記南側二十三坪一合一勺の土地につき賃貸借関係がつづいていつたわけである。

原告の被告福岡八重ら八名及び被告福岡工業、島田昭彦、島田キミに対する南側土地についての明渡し及び損害金の請求は結局秀一の土地賃借権が解除によつてなくなつたことを前提とするものである。しかるに、そのことはないのであるから、原告の右の請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当である。

原告は、被告福岡八重ら八名に対し、前記北側土地二十五坪三合八勺についても、所有権にもとづいて、明渡し及び損害金の請求をしているが、右被告らが右の部分を占有していることについては何も証拠がないから、原告の右の請求も、ほかの点を判断するまでもなく、失当である。

原告は被告福岡八重ら八名に対して昭和二十九年一月一日から同年十月十四日までの賃料の支払いを求めている。被告福岡八重ら八名の賃借土地二十三坪一合一勺について原告が賃料の支払いを求めることのできるのはいうまでもない。しかし、右の期間の約定賃料額が原告主張のとおりであることについては、何も証拠かない。原告の考えは、賃料額はだまつていてもいわゆる公定賃料額に定まるというにあるもののごとく、その趣旨の請求をしているが、右土地の公定賃料額が原告主張の割合であることについては、右被告らが不知をもつて争つているのにかかわらず、原告はその根拠を明かにしないし、立証もしない。

結局、右期間の賃料額はわからないから、原告の賃料の支払い請求も、その余の点を判断するまでもなく、排斥するほかない。

つぎに、別紙目録(三)の建物が被告元雄によつて建てられ同被告の所有に帰したことは、前記のとおりである。

原告は、「右(三)の建物は現在は被告忠雄の所有であり、被告忠雄は右建物を所有することによつて前記南側土地二十五坪三合八勺を占有している。」という。

右(三)の建物が現在登記簿上被告忠雄の所有名儀になつていることは、被告らの認めるところである。

しかし、(証拠省略)を合せ考えると、この点につきつぎのとおり認めることができる。

被告元雄は、昭和二十五年八月、小林紀久男から、さきに借りた十五万円に追加して三十五万円を借受け、その合計五十万円の借受金の担保として右(三)の建物の所有名義を小林に移し、右債務を返済したときはその名義を被告元雄に戻してもらう旨相約し、同月十五日右建物につき小林名義に所有権移転登記をした。昭和二十六年四月中被告元雄が右債務を返済したので、小林は、右建物の所有名義を被告元雄に戻すことになつた。ところが、被告元雄はいわゆる税金対策から右建物の所有名義を被告元雄の長男被告忠雄(当時東京大学学生)名義に戻してもらうことにした。すなわち、被告元雄は、「右建物は、被告元雄名義に戻してもゆくゆくは相続により被告忠雄の所有に帰するであろう。その場合のことを考えて早手まわしに右建物の名義を被告忠雄に移しておき税金を節約することにしたい。」と考えて、その旨小林に話し、右建物の登記簿上の名義だけを被告忠雄に移してもらうことにし、小林は昭和二十六年四月十六日右建物につき被告忠雄名義に所有権移転登記をした。

かように認められる。

以上の認定によると、右(三)の建物は被告忠雄名義に所有権移転登記をしたのちにおいてもなお被告元雄の所有であるとみるのが相当である。

してみると、右(三)の建物が被告忠雄の所有に属することを前提として、同被告に対し、右建物を収去して前記土地二十五坪三合八勺の明渡しを求める原告の請求は、失当である。

被告忠雄、被告元雄、新世紀映画、中央映画、協和運送が右(三)の建物のうち原告主張の部分を占有していることは、右被告らの認めるところである。しかし、右の(三)建物の所有者被告元雄がその敷地二十五坪三合八勺につき占有権原をもつていることは前記のとおりであり、被告竹内元雄本人の供述によると、被告忠雄は被告元雄の家族として右(三)の建物に住んでおり、被告新世紀映画、被告中央映画、被告協和運送も被告元雄の意思にもとづいて右建物部分を占有しているものであることが認められるから、前記被告らに対して右建物部分から退去してその敷地を明渡すべきことを求める原告の請求も、その余の点を判断するまでもなく、失当であるといわなければならない。

原告の請求はすべて失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第六部

裁判官 新 村 義 広

(目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例